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【高校野球】漫画みたいな野球チーム!【八重山商工高校】

『日本の夏と言えば高校野球!』

と言われるぐらいにプロ野球にも負けないくらいの人気を誇っているのが高校野球です。

特に夏の高校野球選手権、いわゆる甲子園はとてつもない人気を誇っています。

今回は斎藤佑樹・田中将大が決勝で熱戦を繰り広げた甲子園の中でも人気の高い2006年夏の甲子園から、めちゃめちゃ破天荒な沖縄代表『八重山商工高校』について紹介します。

歴史を塗り替えた八重山商工というチーム


日本の最南端に位置する八重山商工高校。
甲子園に出た中でではなく、実際に日本最南端の高校なのです。

2005年の秋季高校野球九州大会で見事準優勝を果たし、沖縄の高校として初めての離島からの甲子園出場(春)を決めました。

沖縄の試合の時は道路から異常に車が少なくなる、と言われるほど野球熱が熱く、地元愛が強い土地柄の沖縄。

出場を決めたときは、石垣島の島内放送が速報で放送するくらいの大イベントでした。

そして、2006年の春の大会では現ロッテの大嶺裕太投手が高岡商業から17奪三振も奪い、離島の高校として初めての甲子園一勝を掴み取りました。二回戦ではその大会の覇者横浜高校と熱戦を繰り広げ、惜しくも6-7で敗れてしまったものの日本の高校野球の歴史に名を刻みました。

さらに伝説の2006年夏の甲子園にも沖縄予選の激戦を勝ち進み、春夏連続の甲子園を決めました。

一回戦、二回戦と勝ち進み、優勝候補の一つにも挙げられるぐらいの注目を集めた八重山商工ですが、残念ながら三回戦の智辯和歌山戦で3-8で敗れてしまいましたが、地方や同じ離島のあまり恵まれているとはいえない環境で野球に励んでいる高校球児たちに、「自分たちでもやれる!」と、勇気を与えたと思います。

これだけでも漫画みたいな野球チームなのですが、チームのこれまでの歴史や監督、選手たちのキャラクターはさらに個性的です。

10年間同じチームで戦い続けた仲間達


10年間と聞いて、「ん?」となった人もいるでしょう。
普通のチームは長くても3年間(実質2年半)でやっていくものですが、このチームは違います。

実は小学校、中学校、高校とほとんど同じメンバーでずっと野球をやってきました。
監督でさえもずっと同じ伊志嶺監督です。

実績は凄まじく、小学校の時に八島マリンズとして日本一。翌年、彼らが中学校になると八重山ポニーズとして世界三位。そして高校野球では先ほど述べたように甲子園春夏連続出場、夏の大会はベスト16という輝かしい戦績を収めてきました。

このようにずっと同じ仲間でやれたのも監督の影響がとても大きいです。20人という他の強豪校に比べるとかなり少ない部員数ですが、全国でも通用するようなチームでした。
伊志嶺監督は教師ではないものの、今までの実績が認められて石垣島市長に特別に八重山商工の監督になってほしいと要請され、教え子たちと甲子園を目指すことができました。

このような実績のおかげで、普通は地方の選手たちが高校になると県外や離島でいうと島外の強豪校に進むというのが一般的ですが、沖縄県外の選手が自ら沖縄本島でもない石垣島にある八重山商工に野球留学するということも起こるようになりました。

というような個性派チームなのですが、実際、選手も監督も個性的です。

そんな個性的な選手や監督のエピソードをまとめてみました。

大嶺祐太


MAX150キロを超える快速球の投手で、球のキレもプロ級と称された本格派投手です。
実際に2006年のドラフト会議の読売巨人の裏側を撮ったドキュメントでは、高校生の投手で二人だけ特A評価をされており、その中の一人として選ばれていました。ちなみに、もう一人の投手は現ヤンキースの田中将大、通称マー君です。
(下の動画がそのリンクです。)


福岡に球団を持つソフトバンクが一位で最有力とされていましたが、ロッテの当時のバレンタイン監督が大嶺のストレートにほれ込み、強引に一位指名をしたと言われています。

ソフトバンクとロッテの抽選の結果、ロッテが抽選権を獲得しドラフト一位としてロッテに入団しました。

そんな野球人としてのスター街道を駆け上がってきた大嶺投手ですが、家庭環境が複雑で両親とは一緒に暮らしておらず、祖父の家で生活をしていました。彼は体も大きく小学生の頃はガキ大将としてやんちゃな少年でした。野球を始めたのはやんちゃな彼を伊志嶺監督が野球に誘ったというのがきっかけです。

そんな彼が小学校六年生になり、部活に四か月も来なかったことがあったそうで、その時は監督自ら大嶺の家に赴き大嶺を数発殴って部活に来さしたという今起こったら問題になりそうなこともあったそうです。(祖父の了承済み。)

プロ野球選手としては10年以上のキャリアになりますが、芽が出かけたときもあったのですが現在はあまり活躍できているとは言えません。ずっと期待はされていますし元々投げている球は一級品なので、今後の復活に期待です。

金城長靖


プロで見てみたかった高校球児として名前が挙がることが多い、言わずと知れた名選手、現在は沖縄電力で社会人野球をしている金城長靖選手について紹介します。

低身長&スイッチヒッター(右でも左でも打つこと)&ホームランバッター&ピッチャーという異質な能力。

ホームランバッターとしては低身長ながらプロ並みの打球をバンバン打ち、試合ではホームランを連発していました。現西武で元大阪桐蔭の森友哉に似ている感じがします。
(下の動画は沖縄県決勝で打った特大ホームラン。)

甲子園でも大活躍し、三本のホームランを放ちました。(春に二本。夏に一本。)

しかし、二本のホームランを打つというのは毎年誰かが達成しており、凄いことは間違いありませんが、特別に凄いことではありません。

この三本のホームランの何が凄いか。

実は彼が春に打った二本のホームランは左右の打席で打ったホームランなんです。これが史上初。スイッチヒッター自体も珍しいですが、スイッチヒッターでどっちもホームランバッターなんていうのは彼しか見たことがありません。

そして彼の凄いところはもう一つ、投手としても凄いんです。

エース大嶺の調子が悪い時は、彼が途中で登板したりしていました。

先ほどと同様、これもまた珍しいことではありません。高校野球ではホームランバッターと投手を掛け持ちして、エースが倒れたら二番手として投げるみたいなことはたまにあることです。

何が凄いか、彼は身長が自称170センチ(絶対そんなにない)にも関わらず、MAX145キロのこれまた快速球を放ります。しかもエースでプロ注目投手の大嶺を抑え、八重山商工で唯一の日本代表に投手として選ばれています。大嶺がいなければ、投手としても有名になれた逸材で、最初に挙げた、スイッチ、ホームランバッター、ピッチャーというのを、とてつもなく高いレベルでこなしている選手でした。

ちなみに、大嶺同様やんちゃで監督が帰ったら、監督のあとを自転車で追いながら帰宅する(練習を途中でさぼる)なんてエピソードも。

そして、八重山商工の夏の甲子園一回戦、千葉経済大学付属高校との試合。
相手には、現在広島の丸選手もいます。
二点差で相手に押されたまま九回の表、八重山商工の攻撃、ツーアウトまできてしまいます。そんな絶体絶命の中、金城選手の打順になったのですが、なんと金城選手、この絶体絶命の状況の中で打席で笑っているんです。あたかもここから逆転劇が始まるのを知っているかの如く。実際にこのあと三連打して追いつき、延長で逆転勝ちしました。

本当に漫画みたいな選手ですよね。

 

大嶺選手、金城選手の個性的な話をしましたが何が一番凄いか。

これは日本で一番南にある離島の高校チームの話です。全国の超強豪校ではありません。

伊志嶺監督


最後に紹介するのは伊志嶺監督です。伊志嶺監督は最初に言った通り、教師ではないため、普段はごみ収集の仕事をしていました。人生をすべて野球に捧げるために、朝練と授業後の練習に参加するために時間の融通が利くこの仕事を選んだそうです。

ちなみに長渕剛の大ファンで、音楽は長渕しか聞かないというつわものっぷり。

そして、都会では絶対問題になるような体罰やあり得ない量の練習を指示したりする、超昭和的監督です。

実際に、平日八時間、土日十二時間という凄まじい練習時間。
さらに、タイヤを後ろに着けてダッシュ、ノック等、現代では考えられない練習方法。

教育的によくない!というのはナンセンス。そもそも伊志嶺監督は教育者ではありません。

自身でも、「私は教育人ではなく、野球人。」というほどの徹底ぶり。

これだけ聞くと悪いように聞こえますが、事実でもあるので、賛否は皆さんに任せます。

そんな伊志嶺監督ですが、二回離婚を経験しており、子供も三人いました。八重山出身で、もちろん自身も野球をやってきたのですが、甲子園の夢はかなわず、「どうか、八重山から甲子園を目指したい。」とずっと思っていました。息子たちにももちろん野球をさせましたが、やはりなかなか難しい目標で、叶うことはありませんでした。そんな彼が、その夢をかなえてくれるかもと思ったのは、八重山商工のメンバーで、実際に子供のように厳しく、心の底では愛して指導をしていたと思います。実は、自身の長男は早くにして亡くなっております。そんなこともあり絶対に夢を叶えようとメンバーとともに頑張ったのです。

初めての甲子園は決まった時は、メンバーの喜ぶ姿を見て涙する伊志嶺監督がいました。
厳しさの裏側には愛情があることが垣間見えるワンシーンでした。

教育方法には色々と批判が付きまといますが、離島という土地柄上、何年も親のように面倒を見てきたという関係性からも、一般人の私たちが外野からがやがやいっても野暮なのかもしれません。

八重山商工伝説

個性的なメンバーから出てくる漫画顔負けのエピソードを最後に少しだけ紹介しようと思います。

甲子園の砂を拒否

2006年の春の甲子園が初出場の八重山商工ですが、普通なら離島として初めての甲子園に出場して、今度はいつ出れるかわからない甲子園なので、負けると砂を持ち帰ります。というか、別に強豪校でもほとんどの高校は負けると砂を持ち帰るという文化が甲子園にはあります。そんな中、彼らは『絶対夏も帰ってくる。』という理由で、砂を持ち帰らず去りました。

かっこいい、、、

伝説の伝令事件

一試合に三回だけ使える伝令。監督からのメッセージを代わりにベンチの選手が伝えにいくというもの。ただ間を取りたいときや適切に状況を伝えるとき、緊張をほぐすために笑わせに行くなんて使われ方もします。そんな中夏の甲子園、二回戦松代戦の九回表、大嶺投手が四球のあとに死球を与えてしまい監督からの伝令が出されました。なんとそこで出された伝令は、さっき述べた三つではなく「死ね。」という言葉でした。実は、八重山商工ではよくある伝令らしく、大嶺投手はこれを聞いて、なにくそという気持ちで投げるそうです。

破天荒すぎ、、笑

監督と大嶺選手の喧嘩

夏の二回戦、松代戦の前に監督と大嶺選手が喧嘩したそうで、なんと松代戦の先発ピッチャーは大嶺でも金城でもない当山選手。当山選手は二回だけ投げて、そのあとは金城選手が七回まで投げぬきました。ようやく、最後の二回に大嶺を出した監督ですが、結局は、「死ね。」の伝令。

本当に破天荒ですね(笑)

 

という感じで、今回は八重山商工の2006年のチームをまとめてみました。個人的にもとても好きなチームで、色々なドラマがあり、平成とは思えないようなエピソードや個性にとてもワクワクさせられました。大嶺選手、金城選手の他にも個性的なメンバーはいましたが(東船道選手とか)、有名なこの三人を主に紹介させてもらいました。野球全般好きなので、今後も野球関連は紹介していきたいと思います。